2007年1月27日コメント (5)
来週の研究発表に向けてレジュメを作成している。先行研究も大切だがまずは史料ということで原文書を読み、論点を抽出後、先行研究を読んでみるという手順を取った。しかし、自分で立てた論点が先学古島敏雄氏によって立てられていた。ということは、自分はまだまだ古島氏の掌の上でおどっているようなものである。まだまだ修行がたりないが、来週の発表は、古島+1点の主張で構成することにした。
私の前の壁は大きい

地方名望家

2007年1月15日 研究
職場で整理をし、この1月晴れて公開となった「清水家文書」の主人公の一人清水又居氏(あえて氏をつけさせていただく)江戸時代の大庄屋から地域の名望家へと明治維新をはさんで変わって行く姿は見事なものである。その出発点としてペリー来航が位置づけられそうである。これからの分析課題のひとつである。
謹賀新年
本年もよろしくお願いします。

脱稿

2006年12月11日 雑感
K村史の原稿の最終部分を書き上げ、メールで送付した。最初の1頁を書きはじめてから1年。400字詰原稿用紙に換算して約150枚。われながらよく書いたものだ。(内容は・・・・・・)

御神体

2006年12月1日
T市よりの調査依頼で某神社の御神体の墨書の調査を行った。赤外線をあてて調べる方法である。普段は神社の奥に御鎮座なされている御神体であるので調査も記が引き締まった。室町期と考えられていたものであるが、墨書や彫りが深い御顔つきから鎌倉期ではないかということになった。(あくまでの暫定的でありこの結果が正しいかは専門家による鑑定が必要である)女神の服の文様など古めかしい御神体が意外とおしゃれであることも発見できた。ともあれ御神体にそそうのないようにできたかどうか、調査の間気になって仕方がなかった。普段は無信仰な小生であるが、いざというときはやはり宗教心がおこってくるのだろうか?

文書整理の終了

2006年11月15日
4月以来職場で取り組んできた(業務ですね)、S家文書の整理が完了する。私は最後の部分を行ったにすぎないが、約2万点に及ぶ文書群よくもまあ整理したものであると思ってしまう。
S家の文書は近世文書が非常に有名な文書であるが、整理していくうちに近代以降の文書もかなり充実していることが判明した。
400メートル走でいうならば第4コーナーを回ったところである。公開起案に向けて最後の追い込みをしなければならないと改めて感じている。
全国の近世史、近代史の研究に寄与できる文書の公開まであとX日近日公開予定・・・といところであろう
岡山で行われた全史料協の大会から帰る。今週は職場には一度も出勤なしということになった。大会での研修や講演からはアーカイブスをめぐる様々な問題等を学ぶことができた。しかしそれ以上に懇親会等での様々な人々と交流することができたのが一番の収穫であったのかもしれない。

野崎家旧宅

2006年11月7日
倉敷市児島にある野崎家旧宅に伺う。普段ならば快速で岡山から20分弱なのだか強風のため瀬戸大橋が通行不可能となり、意外と時間がかかてしまった。
塩田王野崎源左衛門が一代で作り上げた住宅は勇壮なつくりであった。職員の方に細かく案内してもらいながら見て回ったのだが、松本藩の大庄屋の家とは異なっている部分が多いことがわかる。厳密に言えば野崎家は大庄屋「格」であるのだが、そこには「格」の家の経済力を取り込もうとした岡山藩の意図を伺うことができる。ともあれ野崎源左衛門が作り上げた塩田は、現在もナイカイ塩業として続いていることにはおどろかされる。
余談であるが、「野崎家旧宅」は、国の重要文化財にしていされることとなった。
野崎家旧宅(塩業史料館)のURLは↓
http://www.naikai.co.jp/J_MUSEUM.htm

岡山へ

2006年11月6日
大庄屋関係調査と全史料協の大会参加のために岡山に向かう。
公共交通機関での移動でいつもおもうことなのだが、新幹線の速さには毎回驚かされる。自宅のある飯田は高速交通網からはるかに取り残された形となっている。高速道路があるとはいえそう感じてしまう。

森将軍塚へ登る

2006年10月28日
職場の裏山にありながら半年間一度も行っていなかった「森将軍塚」(小学校6年生の社会科の教科書にのっています)へ登った。麓の「科の里(しなののさと)公園」から急な坂を登ること約20分、お目当ての将軍塚が見えてくる。後円部に登ると眼下に上信越道、長野新幹線、長野道、しなの鉄道が見える絶景であった。気分はいにしえのシナノの王といったところである。
いい気分でいた時、ふとしたことに気がついた。森将軍塚を中心とした地域に長野市の生命線といえる交通網が集中していることに・・・。千曲市は長野市の生命線でもあるかもしれない。
出張で前橋へ行く。上信越道経由で行ったのだが、長野=群馬県境はめずらしく雲がなかった。いつもは頂をみることができない妙義山・荒船山など群馬の山々をみることができた。関越道に入り西方をながめると浅間山が群馬の山々の上にそびえ立っていた。関東平野から見たとき浅間山の高さ、雄大さというものを初めて実感した・・・という気分であった。天明の浅間山の大噴火の時、関東の人々が見た浅間山の姿とは恐ろしいものであったであろう。
信濃に住んでいると3000m級の山が多く、つい浅間山は低く感じてしまう。ところ変われば山の姿も変わるものである。
(追伸)
そういえは、我が下伊那にある茶臼山(1315m)は、愛知県最高峰であった。

近世から近代へ

2006年10月20日
現在整理を続けているS家文書。これまでは近世文書のみが有名であったが、近代の文書も非常に内容が充実していることがわかってきた。近代は門外漢的なところがある私だが分析してみたくなる文書がまたぞろである。早く公開できるようにしなければならない文書である。
あと少しです。

K村史

2006年10月18日
久々にK村史のことを書こう!
残す大物は、森林である。
頭の中では構想が固まっているが原稿を書く段になると止まってしまう。という状況がこの2,3日続いている。

困ったものだ

アプト式

2006年10月17日
母と伯母を連れて軽井沢へ行く。アウトレットモールから軽井沢駅の方を見るとちょうど新幹線が到着するところであった。新幹線の開通と共に廃止されたのが信越線の横川−軽井沢間である。アプト式で有名であったこの区間もいまや幻の区間となっている。
この区間がアプト式となったのは勾配がきついこともさることながら、新潟と東京都を早く鉄道で結びたいという明治政府の思惑があったという。英国人測量技師が路線として測量したのは、現在の新幹線の通る道筋とほぼ同じであったという。ちょうどその頃西欧から帰った日本人の鉄道技師が急勾配でも登ることのできる方式があると主張し、その方式アプト式が採用された。英国人技師は、日本の基幹路線に登山鉄道の方式を採用すべきでないと反対したそうである。
英国人技師の憂慮は、信越線完成後10年ほどで現実のものとなった。輸送量の限界がきたのである。そのために中央本線と結ぶ篠ノ井線が着工されたというのである。
長い目で見て考えていくことの大切さを考えさせられる事例である。

北斎館へ行く

2006年10月16日
母と伯母が来たので小布施町へつれて行った。昼頃着いたのだが町の中は車・車、人・人。何とか食事を前から行ってみたいと思っていた北斎館へ3人で行った。
北斎の肉筆画が多数展示されており、それぞれの絵の前にも人がいっぱい。少々人疲れもしたがめあての作品をしっかりと見ることができた。90才に至るまで持ち続けた旺盛な製作意欲。年と共に冴え渡っていく作品。北斎とはまさに化け物のような人であると改めて思わされた。自分の小ささも北斎の作品から感じさせられた。

H先生の講演

2006年10月13日
諏訪でH先生の講演があるということなので早速聞きにいった。H先生は、日本の歴史人口学のパイオニア(こう書くと誰だかわかってしまう)である。講演の内容は先生の著書のダイジェスト版(一般向けの)であった。しかし著書を読んでいるだけでは不明な部分が講演を聞くことによってはっきりとしてきた。

小生のワーキングペーパーを最新の著書へ引用していただいたことへのお礼も直接伝えることもできた。

宮村町絵図・年代記

2006年10月1日
古文書愛好会の研修旅行のお供をして松本・塩尻方面へ行く。
松本市文書館→旧制松本高校→馬場家住宅→塩尻市古文書室と回った。一番の収穫は、松本市文書館で宮村町の絵図と宮村町年代記を拝見したことと大庄屋史料の写しがあることであった。
宮村町関係はデジカメに全て撮影してきた。分析するのが楽しみな史料である。

陸奥守包保

2006年9月20日
史料の中に出てきた刀剣の作者である。全国的に有名な人物ではないということは判明していたが、それ以上のことがなかなかわからないでいた。たまたま今日WEBサーフィンをしていたところなんと包保の名前があるではないですか!!!
豊科郷土博物館のサイトであった。包保は、17世紀から18世紀のはじめの松本城主水野氏のお抱えの刀工であった。大阪出身で3代にわたって水野氏に仕えていた。しかし水野氏の改易後の行方はしれないそうだ。

企画展終了

2006年8月28日
昨日で館の夏季企画展が終了した。終わってみるとあっという間であった。最後の3日間の入場者増にはびっくりさせられると共に新聞のコラムの威力のすごさをまざまざと見せつけられた気がした。

関西へ

2006年7月11日
夏季展覧会の資料借用の為に関西に行く。N社の美術専用車に乗って約半日かけて大阪府内へ着く。今回の借用には、重要文化財もありちょっぴり(どころではない)緊張する出張となった。

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