わかっていそうで、それにピッタリの言葉が見つからない。これが一番困ることである。シーソーラスでも買えばいいのかも知れないが、金欠病のためそれもできない。そのため同じところをグルグル。この日記も支離滅裂!!

翻訳(遅々と)

2004年1月12日
前々より進めている翻訳作業。土日を中心に行っているため遅々として進んでいない。1月ほど寝かしていたため、最初から見直すとかなりの誤訳(気が付いていないものも含めて)があった。早めに仕上げて(自分として)T先生に後処理をお任せしなければならないかも知れない。
自分の英語力のなさにほとほとあきれる。

賀正

2004年1月2日
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
昨年度よりオブザーバーとして参加させて頂いているFcronosプロジェクトのワーキングペーパーが完成した。今回は、史料紹介であるが、手をつけてから完成まで1年以上かかった。これを使った分析はこれからだか、分析の可能性はかなりあると感じている。ライフワークになりそうなものである。まずは、完成したものをデーターベース化することを考えなければならない。
 このほかに書きかけでねかしたままのものがかなりある。それらが全部完成するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 千里の道も一歩から

○○の調査隊来飯

2003年12月16日
歴史研究所にK大のプロジェクトのメンバーが来所。○○の調査のためである。詳しいことは書けないが、今後の展開が楽しみである。
午前中、時間があったので「飯田市歴史研究所」へ寄ってみる。正式に開所してからは初めてである。これが元飯田市教育委員会事務局かと思うくらいすっきりしている。とにかく全国的に見ても初めての試みであるのでどのように展開していくか(自分も含めて)見守ってほしいと思います。(突然語尾が変わってしまった)
本日、飯田市の歴史研究所が開設された。1地方自治体としてこのような研究所を持つことは他にはないことであろう。

11月1日に参加したK大での研究会で拝聴した国際学会での発表の報告のメールが来た。かなり好評のようだった。何よりのことだ。この研究会は、若い研究者をいろいろな場で鍛えると共に育て、更なるステップアップを図ろうとしているように感じる。教育者としていろいろな意味で刺激を受ける。

K村調査

2003年11月8日
Y先生と1日K村の調査に出かける。K村誌の調査である。4軒のお宅を訪問する。拝見した近世文書は全てデジカメで撮影し、いつでも参照できるようにした。

英語での学会発表

2003年11月3日
K大での研究会に参加。今回は、昨日日記に書いたように、11日からのA国で開かれる国際学会で発表の準備を兼ねた研究会となった。国際学会であるので当然発表はE語である。小生の拙いE力では到底全てを聞き取れるものではない。しかし、2名の若き発表者は、一生懸命やっていたのは印象的だった。また、このプロジェクト自体も、若者に機会を与えて育てていこうとしているといえるだろう。11日からの学会が期待される!!!

明日は江戸

2003年10月31日
1月に1度のK大での研究会に参加の予定。11月A国で開かれる国際学会の予行演習も兼ねた発表だそうだ。楽しみだ。

翻訳 PART2

2003年10月27日
翻訳、行き詰まっています。

N先生のお供

2003年10月5日
半日、N先生のお供で下伊那を回る。いろいろな話しを聞くことができ、大いに刺激を受けた。

N先生の講演

2003年10月4日
飯田市の地域史事業準備室の「語り継ぐ飯田下伊那の歴史」という記念集会でH大学名誉教授のN先生の講演を拝聴する。
「比較は3つすること」
という話しが特に印象に残った。
無いの脳みそで最近英文と格闘している。原史料を知っていることは、利点でもあるが時にマイナス点ともなりうることを感じる今日この頃である。

前島家文書目録

2003年8月30日
N大学のM先生が作成した前島家文書目録を手に入れた。予想以上に多い文書数にとにかくびっくりした。宗門改帳などは飯田美術博物館にはほとんど行っていなかったのである。すばらしいの一言につきます。

調査随行

2003年8月18日
夏休みもあと2日。今日はH大学のS先生とK大学のT先生の調査に随行。内容については来るべき時がきたらということで。では

山論絵図拝見

2003年8月16日
隣村のHさんの計らいにより、宝永4年の7ヶ村山論の絵図を見る機会を得た。とは言っても見たのは負けた側の3ヶ村の方である。これまで古文書の字でしかわからなかった地名がはっきりしたのは大きな成果であった。この絵図は年1回行われる「御絵図干し」の時に封印を解かれるわけである。これを約300年間続けている地区の皆様には頭が下がる。現在はお荷物のような山に関して真剣に争った江戸時代の人々、その思いは現在にまで続いているわけである。
まさに、「現在も生きている山論である。」3地区の皆様に感謝しつつ。

訂正!!

2003年8月12日
昨日の日記の前島家経営の民宿は旅荘「右馬允」でした。先祖の名前を見事に使ったネーミングはすばらしい!!

前島家

2003年8月11日
M先生のお供3日目、まず山吹の本学神社へ向かう。本学神社とは、国学の4大人を祭ってある全国的にみても珍しい神社である。その後、大鹿村の前島家に向かう。ここは、故古島敏雄氏の初期の業績の舞台となった文書があった家である。現在は「馬之允」という民宿を営んでいる。雰囲気のよい民宿であり、機会があったら一度宿泊してみたい物である。

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